魍魎の匣

分厚過ぎですから...


やっちゃいました。せっかくの休日なのに読んでて1日潰しました。今計ったら、厚さ43mmありました。単行本のくせに。

京極夏彦魍魎の匣」今さらですが図書館で借りてきてやっと初めて読んだ。
まあ、今日はあんまり気分が良くなくてほとんど横になって過ごしてたっていうのもあるんだが、とりあえず更に気持ち悪くなってご飯食べませんでした。(苦笑)ま、ダイエットダイエット。

内容はとてつもなくえぐくって惨いんだが、主人公の京極堂のおかげで作中の行動を猟奇の方に渡して傍観というわけにもいかず、こっちもちゃんと見据えなきゃいけないんだけど、理路整然と説明されてしまうので<憑かれる>というか、フラッシュバックしてその強烈な場面を、読み終わった後に何度も思い出させられてしまうというものでもないというか。本の中のいろんな人のいろんな闇を覗いてしまったので、とってもしんどい。ただし、透明なビニールを隔てているので感触も温度も覚えてるけどいつでも自分とはきっぱり分離出来る、みたいな体験だった。

うーむ。こうやって言葉にしてみると、これってすごいことでは?

京極堂シリーズ一作目の「姑獲鳥の夏」はすごいなーとは思ったけど、京極堂という博識な陰陽師の説明が一人歩きしてるような気がして、おまけにミステリーの落ちが何かのトリックというよりは一人のキャラクターの精神的なもののせいで発覚していなかったという(私にとって)そんなことはありえるのか?というものだったのでふーん、と思ってたんですが、こんなことならもっと早く読んでおけば良かった。

今思うと、この怖さは昨日見た映画「28日後」にも通じるものがあるなとやっと思い当たった。映画の中での極限状態に置かれた人たちもそうだけど、みんな正気でなおかつ恐ろしいことを普通にやっていて、そしてみんなその理由を普通の理屈で説明できてしまうという状態が、自分の今まで使っていた理屈の通り道を見事に断ち切ってしまって、自分の周りの世界がもしかしたらぜんぜん違う法則で動いているのかもしれないという恐怖にかられたりする訳ですねきっと。

足元にぽっかりと真っ黒な穴が口を開けてるのに気付いてしまった瞬間の恐怖と言うか。

ああ考えてるだけでまた気分が悪くなってきた。

きっと、作中の強烈な描写には<憑かれ>てはないけど、京極夏彦の術中にははまったのでしょう。

ああ、もう気分直しにイザベル・アジェンデの「エバ・ルーナのお話」を読もう。